やたらとステイタス好きな人間に。

私はここにいるよ。

みんな私のことに注目してという欲求は常にありました。子供のころはとにかくアウトドア派で、幸い両親ともに勉強を強いたり、習いごとを私の希望と関係なくやらせたりということはなかったので、放課後は思い切り公園や外で友達と体を動かして遊んでいました。

鉄棒の技を磨くのも好きで、自分ができない技をやっている友達がいるも、自分もできるようになるまで、結構しぶとく練習したり、友達の中では自分は結構やれるな、みんな意外とできないなと、優越感を持っていたように思います。

それが中学生のころは、勉強にも発展し、一切勉強しなさいとはいわれませんでしたが、やればある程度点数がとれることがわかり、やればやっただけ成績って上がるんだと、自分でモチベーションもしっかりと育てて、中学1年より2年、2年より3年と成績はうなぎのぼりのように上がって行き、いよいよ高校受験という段階になると、知らぬ間に地域のトップ校を狙える位置にまで来ることが出来ました。

といっても、公立の地域のトップ校ですと、マーチがボリュームゾーン早慶は本当に出来る一部の生徒がいくような感じの学校でしたが。

そんなこんなで、思春期には自分で頑張って、結果を勝ち取るというサイクルは出来上がったのですが、問題は人づきあいでした。

私は自分に無条件な自信が育っていなかったので、常に人に受け入れてもらえるのだろうか?と不安を抱えながら、過ごしていました。

小さい時に母親から拒否的に育てられた後遺症は思った以上に大きく、人の顔色を伺いながら接するくせは、この思春期から自覚されるようになりました。

友達と喋っていても、私なんかと喋ってつまらないと思われてないかな。とか、私ってこんなこと言って嫌われちゃうんじゃないかな。とか、いつも自分という存在に対して、信頼感が持てず、なんとなく地に足がつかないような、そんな思春期時代を過ごしました。

高校生くらいになると、地域トップ校に入った私は世の中というのは、やはり上から下までいろんなレベルの人間で成り立っているんだなということがわかってきました。

世の中にはお金持ちのお家があり、そこの家の子供は持ってるものが、ブランド物だったりして、ハンカチ一つとってもいつも真新しい綺麗なものを使っていたり、きちんとアイロンがかかったシャツなどを着ていたり、子供心にうちとはちがうなぁ。私もこういう良家の子女に生まれたかったななどと思ったものです。

幸い自分の外見は整っておりましたので、きちんとした、身なりをすれば、良家の子女に負けず劣らず、外を歩けば異性の視線をバンバン感じるお年頃となっておりました。

なので、この頃から目指すは世の中の上のクラスの人間と付き合って、自分もその仲間入りしたいという強烈な欲求が湧いてきました。

当時はラルフローレンの靴下一枚買っただけでも、とても嬉しく大切に大切に履いていたことを思い出します。