私が国際ロマンス詐欺に騙されるまで。
みなさん、国際ロマンス詐欺って知ってますか?
フェイスブックや言語交換アプリなどを通して、外国人と出会い、関係を深めていく中で、恋愛関係や結婚を匂わせ、相手からお金を騙し取るという詐欺のことをいいます。
私は昔から英語を話せるようになりたい気持ちが強くて、30万かけて英会話スクール行ったりしていましたが、結局喋れるようになることはなく、日本人と結婚し、すっかり英会話熱も冷めてしまっていましたが、子育てもひと段落した最近、語学交換アプリというものがあることを知りました。
そこには外国の文化や言語に関心のある世界中の人々が集い、お互いの言語や文化を学び合うという共通の目的があり、自分がどこの国の言語を学びたいか、どういうことに興味があるかをプロフィールに書き込んでおくと、それを見た外国人がメッセージを送ってくることができるように、運営者がマッチングしてくれるというアプリです。
無料で、外国人とチャットが出来て、しかもいろんな国の人々と知り合えるのは、私にとってとても刺激的で、面白いことでした。
始めたその日から、何人もの外国人が話しかけてきてくれて、急に自分が日本の狭い価値観から抜け出し、世界中の人の中の一員として、いるような感覚におちいりました。
なんて世界は広いのだろう。
世界中の人々といろんな話がしたいと、とてもワクワクしていました。
そんな中で、知り合った方はシリアで軍医をしているというアメリカ人、ガーナでエンジニアをしているというアメリカ人、船の保守、点検、管理をしているというイギリス人、イラクにいるアメリカの軍人と、何人かの外国人とよく話すようになりましたが、だんだん仲良くなると、見事にみんな、お金を貸して欲しいだの、荷物を預かってほしいだの言って、住所や連絡先を聞こうしてきました。
本当に日本人はお金持ちだと思われているのか、みんな様々な理由をつけて、お金を引き出そうとしてきました。
私も警戒はしていたので、国際ロマンス詐欺のサイトなどで、よく勉強して、「荷物を預かってほしい」は預かるとお金を請求されるからだめと知っていたし、子供の学費が銀行のアカウントが閉鎖しれてしまい、送金できないから貸して欲しいといわれても、きっぱり断ることができたし、自分は絶対に引っかからないと、思っていました。
やたらとステイタス好きな人間に。
私はここにいるよ。
みんな私のことに注目してという欲求は常にありました。子供のころはとにかくアウトドア派で、幸い両親ともに勉強を強いたり、習いごとを私の希望と関係なくやらせたりということはなかったので、放課後は思い切り公園や外で友達と体を動かして遊んでいました。
鉄棒の技を磨くのも好きで、自分ができない技をやっている友達がいるも、自分もできるようになるまで、結構しぶとく練習したり、友達の中では自分は結構やれるな、みんな意外とできないなと、優越感を持っていたように思います。
それが中学生のころは、勉強にも発展し、一切勉強しなさいとはいわれませんでしたが、やればある程度点数がとれることがわかり、やればやっただけ成績って上がるんだと、自分でモチベーションもしっかりと育てて、中学1年より2年、2年より3年と成績はうなぎのぼりのように上がって行き、いよいよ高校受験という段階になると、知らぬ間に地域のトップ校を狙える位置にまで来ることが出来ました。
といっても、公立の地域のトップ校ですと、マーチがボリュームゾーンで早慶は本当に出来る一部の生徒がいくような感じの学校でしたが。
そんなこんなで、思春期には自分で頑張って、結果を勝ち取るというサイクルは出来上がったのですが、問題は人づきあいでした。
私は自分に無条件な自信が育っていなかったので、常に人に受け入れてもらえるのだろうか?と不安を抱えながら、過ごしていました。
小さい時に母親から拒否的に育てられた後遺症は思った以上に大きく、人の顔色を伺いながら接するくせは、この思春期から自覚されるようになりました。
友達と喋っていても、私なんかと喋ってつまらないと思われてないかな。とか、私ってこんなこと言って嫌われちゃうんじゃないかな。とか、いつも自分という存在に対して、信頼感が持てず、なんとなく地に足がつかないような、そんな思春期時代を過ごしました。
高校生くらいになると、地域トップ校に入った私は世の中というのは、やはり上から下までいろんなレベルの人間で成り立っているんだなということがわかってきました。
世の中にはお金持ちのお家があり、そこの家の子供は持ってるものが、ブランド物だったりして、ハンカチ一つとってもいつも真新しい綺麗なものを使っていたり、きちんとアイロンがかかったシャツなどを着ていたり、子供心にうちとはちがうなぁ。私もこういう良家の子女に生まれたかったななどと思ったものです。
幸い自分の外見は整っておりましたので、きちんとした、身なりをすれば、良家の子女に負けず劣らず、外を歩けば異性の視線をバンバン感じるお年頃となっておりました。
なので、この頃から目指すは世の中の上のクラスの人間と付き合って、自分もその仲間入りしたいという強烈な欲求が湧いてきました。
当時はラルフローレンの靴下一枚買っただけでも、とても嬉しく大切に大切に履いていたことを思い出します。
辛かった子供時代
私という人間が出来上がるまでには、いろんな経験、体験が元になっています。
もの心ついた時から、私は常に欲求不満だったように思います。もっと構って欲しい、褒めて欲しい、という子供らしい欲求が十分満たされていなかった子供時代でした。
母は弟ばかり可愛がる感じがして、いつも私は怒られるばかりと子供心に感じていたようで、弟のことを口でからかったり、意地悪していました。
また、その意地悪で満たされない気持ちの裏返しからか、友達に対して自分は凄い人であるかのように振舞ったり、大人しい子に対しては、自分の手下にして、使いっ走りのように接したり、今思えば常に「私はここにいるよ!もっと私を大切にして!私のことを可愛いっていって!」というマグマのようなドロドロした心を抱えながら大きくなっていったように思います。
今でも強烈な体験として思い出すのが、小学校1〜2年の頃、母にはしょっちゅうちょっとしたことで、怒られていたのですが、その時も何か母の気に触るようなことをしたのか、思い切り怒られて、ずっと泣いていました。
その時によく読んでいた「なかよし」という漫画を開いたところに泣きすぎて、吐いてしまい、ゲロまみれになって、こんなに悲しいのに、ママはもう泣かなくていいよと、慰めに来てもくれない、こんなに吐いちゃっても、誰も大丈夫?って優しくしてくれない、私なんていらない存在なんだ。と、とてもみじめな気持ちになったこと、その後ゲロが乾いて、紙がカピカピに乾いた感覚、そんな原体験が今でもはっきり思い出すことができます。
小さい時の体験って、強烈に自分の核に刻みこまれるもので、この原体験は自分という存在に対する不安、自分を信頼できない感覚、そんなものがこの辺りから出来てきたように思います。